さつまいも収穫祭

春に植えたさつまいもの苗がこの夏の猛暑を乗り越え、立派に成長して、いよいよ収穫の時がやってきました。土地改良区、美化隊の皆さんが中心となって、町内会三役の方のご協力の下、地元子ども会のために一生懸命お世話をしてきた成果が発揮されます。あいにくの天気で延期も検討されましたが、昔なら少々の雨でも農作業はやっていたということで、雨天決行されました。私も美化隊の顧問となっており隊の中ではもちろん最年少ですが、農業のプロの先輩方の手際の良さとたくましさにただただ圧倒されるだけでした。私もたっぷりと収穫をしてこれから色々なメニューが食卓に並ぶことが楽しみです。子どもたちも小雨の降る中、せっせと収穫に励んでいました。あいにくの天気で写真撮影ができずに文章の報告だけで残念ですが、子どもたちは競って大きな芋を掘り当てて大喜びしていました。自分たちで植えた苗が季節を越えて大きく育ったことを子どもたちも実体験することができて、この事業はとても有意義だと思います。

残念ながら、子ども会に参加する人数が年々減少していてこういう貴重な体験をできる子どもが少ないということに関して、今後対策をしていく必要はあるかと感じます。家庭の様々な事情で子ども会への加入が減少していますが、その事情の大半を保護者の事情にあるということがとても残念に感じます。子ども会行事は週末が多く、子どもが習い事をしているとなかなか行事に参加できないから「会費がもったいないので入らない」とか、子どもが参加できなくても親に早くが回ってくるので「割に合わないので入らない」とか、親に役が回ってくるのは子どもが高学年になってからなので「低学年のうちは入って、高学年になったらやめる」とか、「それだと顰蹙を買うから最初から入らない」とか、ひどい有様です。PTAの役員をやったときもこれは痛感しましたが、共助という思考が乏しくなっており、これが現代社会が経済的には豊かになっても「心が貧乏」になったといわれるひとつの縮図のように感じます。それでもPTAは学校のことですし半強制的に入らなくてはいけないと思っているので、会費を払って加入していますが、役が回ってくることに関して異常なまでに抵抗を示す方もみえます。それが加入が自由な子ども会となると当たり前のように参加しない方向に進んでいます。イベントに「参加できないことが多いから…」ではなく、「参加できることもあるから…」という理由で加入者を増やしていくべきだと思いますし、親に役が回ってくることも「日頃お世話になっている地元にために自分でできる範囲で少しでも恩返しができれば…」くらいの発想で努力すれば、お互いにもっと気持ちよくなると思います。それを支えるために公助も必要だとも思います。「自助・共助・公助」のバランスが取れた社会が成熟した社会だと私は考えています。